3年間の日本代表活動の2年目となる。
プロの世界や日本代表などトップレベルではよく不思議な現象が起こる。タイミングや運ももちろんあるが、予定していること通りには行かず、その時々で対応できるかで状況が異なることがわかった。
要するに実力主義というか、その場でしっかりと対応できるかということが最も求められる。
そういう事を学ばせてもらった1年間となった。
日本代表トレーナーの2年目は3日間のはずだったが
日本代表トレーナーとして活動する予定であったのは、一次合宿の3日間だけの予定であったが、結果的に全ての日程に参加することとなった。
事前に起こる事を予測して対応できるのかという事がトップレベルではスタッフにも求められるという事である。
日本代表サポートトレーナーの体制
その当時はまだまだ日本代表のトレーナーを構成している組織が大学生のトレーナーが中心になって組織づくりされていた。
なぜかというと、プロチームや企業チームのトップチームはチーム付きとなってしまうため、人材を日本代表に派遣できるような体制とはなっていなかったためである。
そのため、大学のチームに所属しているトレーナーが日本代表をサポートするような体制となっていた。
2009年にバスケットボールでは私が初めてプロチームからトレーナーとして選出して頂き、活動させていただいた。
女子は2009年に日本代表の専任トレーナーが1人活動ていた。
男子では専任トレーナーが不在であった。私のところにも専任トレーナーをやってほしいという依頼があったが、どうしてもリンク栃木ブレックスを抜けられない理由があったため残念ではあったがお断りさせて頂いた。
その理由としてはアシスタントトレーナーを医療系の学校に通わせて現場と学校を両立させていたため、卒業するまでの3年間は責任を持って現場での対応と、教育を含め行わなければならないと思っていた。
その1年目であったのでチームを離れて、日本代表の専任になるということは実現できなかった。
これもタイミングと運であるのだろう。
その代わり何かあれば対応させてもらうよう日本代表サポートトレーナーとして名前を入れることとなった。
適任者が見つからず...
日本代表トレーナーの現実
↑1人で運んでいた荷物の量
前年度に日本代表の活動をしていたので、もちろん代表活動のイメージはすでにできていたし、プロチームでの経験も3年間は実績を積んでいたし、3年目はリーグで優勝もしていたので、いざという時には対応できる準備はできていた。
日本代表も活動日数がかなり多いので、トレーナーも日程調整することはかなり難しくなるのでなかなか人材の確保が難しい状況となってしまう。
日本代表は名誉職に近いので正直収入は期待できない。これは私も同様で、チーム活動で現場に穴が開いてしまうといけないので、代役を立てる費用は自分持ちとなるため、活動しても赤字になってしまうのは必須ということである。
なかなか難しい現実がある。とは言っても経験や肩書き、人との繋がりを含めると大きな財産となるので可能なかぎりチャンスがあればやるべきであるかと思っている。
1次合宿の3日間だけのサポートスタッフ
日本代表でもA代表になるとトレーナーの人選も難しくなる。
そのため、私のところには連絡は全く来なかったのが現実である。合宿開始直前に1次合宿の3日間だけ手伝ってほしいという連絡がかなり直前にきたわけである。
昨シーズンの代表チームから私個人に直接連絡が来て、プロチームの社長が連絡の順番がおかしいと怒っていたのを思い出す...
そのため、まずは会社に連絡して、委任状を出してほしいと要請した。
そして今回は形式的には筋を通して会社から連絡が入ったことにして、無事代表チームに合流することとなった。
『私が関わるのはあくまでも3日間の一次合宿のみである。』
この年から日本代表のヘッドコーチに栃木で一緒に優勝したトーマス・ウィスマン氏(トム)が就任した。
アシスタントコーチ兼通訳も同チームの水野氏である。そのため水野が2名となった。
私が合宿に参加することにトムHCはとても喜んでくれた。
そして、おかしな現象が起こってくる。
水野が栃木で行なっていたウォーミング・アップがいいので水野にアップを任せたいということである。
ヘッドコーチからの依頼なので、誰も文句が言えなくなる...
こちらとしては本当にやりにくくて仕方がなかったのは事実である笑
審判もやってたし...
一次選考はとにかく選手の人数が多い
私は最初の3日間だけであるが、とにかく一次合宿は選手の人数が多すぎるくららいいる。25人の選手の対応を3名で行うことはかなり厳しいし、時間がない。
プロ経験やトップチームでの経験があるトレーナーは他2名はないので、やはり私のような経験値があるタイプも珍しい時代であった。
1人のトレーナーとは昨年も一緒に活動しているし、ベテランなので分かっているが、もう1人は現場で活動があまりなかったので、何をしたらいいのか分かっていなかったのだと思います。
そのため、実際に現場で選手に実際にテーピングやストレッチ、ケアなどもかなり対応していたと思います。
レジェンド折茂さんによって
レジェンドの折茂さんのテーピングやケアも行なっていたと思います。折茂さんは基本テーピングは自分で巻くそうなのですが、信頼してもらえると巻かせてくれたり、ケアさせてくれたりと体を預けてくれるとのことで、一段階は突破したのかなと思いました。
折茂さんとは高校が同じ県で、私が一つ下でよく試合させてもらいました。競りはするものの3点差など、結局1度も勝てなくインターハイは阻止されています。笑
そんな折茂さんに3日目に、自分は今日で代表最終日なのでというと、『ちょっと待て、お前がほぼ全て行ってるのにいなくなったら現場が回らなくなるだろ』と言われ、『ちょっと上と話してくるから』ということでミーティングとなりました。
折茂さんは周りを見てないようで、全ての選手やスタッフの動きを把握してるんだなと思いました。他の主要な選手にも確認し、私が必要だと言って頂いたことは嬉しい限りでありました。
さすがだなと思いました。
正直明らかに他のトレーナーの誰よりも働いていたことは事実だったこと、トムHCも賛同してくれた事も大きいかと思います。
最終日の帰る時には、二次合宿にも参加することとなりました。
嫌がらせもある世界
トレーナーとしては皆ライバルとなるわけですから、そんなにうまくことが運ぶということはなかなかないです。
特に3日間だけのトレーナーが次の合宿にも選手やHCから参加要請があるとなると、面白く思わない方も多くなって来ます。
やる事なす事、上から説教される事もよくありました。
とは言っても私の第一の考えとしては、日本がアジアで勝つ事、トップリーグの選手が怪我をしないように最善を尽くす事に尽きるわけです。
特にプロチームでトップリーグに所属しているわけであるから、自チームの選手よりも他のチームの選手に問題があった際にトラブルにならないように配慮しなければならないわけで、そこを第一に考えていました。
なかなか学生関係のトレーナーの方々には理解されなかったのかと思っています。
日本代表でプロチームとの違いを一番感じたのは、自分のポジションを死守するための行動が優先さ、選手やチームが二の次になる方が多いんだなと思えて仕方がなかったという点はありました。
人は人、自分は自分と割り切って対応するしかない。これも勉強になった事でした。
3日間の予定が正トレーナーに
当時は日本代表のトレーナーは2名体制となります。合宿や遠征の日程を全て対応できるということが条件となってしまう時代であった。
二次合宿中に1名のトレーナーが病院と出勤状況でトラブルとなっている事が分かりました。そのため、代表活動にかなりの穴が出てしまうという事でした。
そもそも代表活動をするにあたって全ての日程に参加できる事がまず条件となっていたのが、覆ったわけで、かなり上からお説教を受けていたかと思います。
そのため自分が変わりにメインのトレーナーに変更になりました。もう一人の方も途中で親善試合に参加できない日が発生したため、代役となって3人でローテーションするような形となりましたが、私は結局フルでの参加となりました。
最初は3日間だけのサポートトレーナーが、運がいいのか悪いのか、タイミングも含めて気がついたら全て参加している状況となるわけです。
トップレベルではどんでん返しや突然話が来る事がよくあるんだなと思いました。
選手もスタッフも突然招集され、そこで結果を出すと人生に転機が来る事があるんだなと、そのためにはしっかりと準備しておく事がチャンスを掴めるんだと学んだ事であります。
この記事が参考になれば幸いです
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