横浜での活動前を1年越しに振り返ってみようと思いました。
河内GMとお会いして話をしてからしばらくして、韓国から国際電話で返事をさせていただいた。
海外だと非通知になってしまうようで、最初は誰からの電話かわからなかったようですが...笑
なんとか契約合意することができ一安心でした。
横浜で生活するにあたり
横浜で生活するには引越ししなければならず、横浜はやはり大都会なのでかなり計画と準備をしなければならないと実感しました。
茨城の水戸は大違い
水戸は家賃が比較的安い。駐車場も2台付いているのが普通である。
家賃相場が全く異なるし、駐車場がない物件ばかり本当に決まらなかった。
引越しはここ10年で10回くらい引越ししている。2年前の広島は部屋がなく、とりあえず外国籍選手の家に1ヶ月住んで部屋を探し、2回引越しをしている。
よくよく話を聞くと山田ACが広島で住んでいた部屋がその部屋である事が分かった。なんとも偶然である笑。
茨城へ引っ越した際は部屋がなかなか見つからなかったが、広島からであったため内覧すらしないで部屋を決めた。
実際に部屋に行ってみると写真のイメージとやはり異なる点が多い。
結果的に悪くはなかったが、やはり今回の横浜ではしっかりと部屋をみて決めたいと思っていた。
実際に何部屋も見たが練習場所の周辺ではなかなか良い物件がなかった。
バッタリ会った川村選手
一応バス通勤を考え体育館から周辺を歩いたり、バスに乗ったりと行動するわけである。
ドラックストアでちょっと買い物をしていたら川村選手とバッタリ遭遇。
正直、川村選手と一緒にやりたい想いも移籍の一つであったが、連絡をとった際、契約満了になったと聞いて驚いたくらいである。
そんな状況であるから、なかなか連絡するのも気まずくなってしまう。
実際は選手はそのあたりプロであるから、すぐに割り切ってそれはそれと、個人的なことには影響しないわけである。
引越しするならどの辺りが良いか、自分が住んでいるエリアなど立ち話で色々と教えてくれた。
とりあえず直接会えて話ができてなんだかスッキリしたことは事実である。
この時期、本当にナーバスになることだらけである。
部屋も決まり引越しへ
引越しは基本自分でやるタイプ、トラックをレンタルして全て自分と妻の2人で行う。
ただし、冷蔵庫とダイニングテーブルは重すぎるので1人では無理なため業者に任せる。
かなりの肉体労働となるが、かなりの節約ができる。妻はやりたくないオーラ出しまくりであるが。
部屋が1階から1階だと楽勝なんですが、今回も2階から2階への引越し。これは地獄レベルにきつい。
そのためにオフシーズンにトレーニングをめちゃくちゃすることでできるわけである。
今回問題だったのが、水戸の皮膚科の院長が引越しする際に超高級和牛を頂いてしまった。
冷蔵庫がないので引越し前日に食べるしかなかったので、食べたは良いが胸焼けして、引越し当日体調不良。
吐きそうで途中休憩しながら、アシスタントトレーナーが手伝ってくれたのでよかった。
なんとか立ち直りトラックの運転で移動して、荷物を部屋に入れる。
そして翌日朝トラックで水戸に戻り、自分の車で再び横浜に来るわけで、かなりしんどいが慣れたものである。
細谷選手と再会
細谷選手とは毎年1回は一緒にご飯を食べに行く。色々と相談してきてくれるタイプで、こちらも勉強になる。
その年もバイウィークのあった1月に東京駅で一緒に食事した。
彼も残るものだと思っていたので、とても残念であった。
本当に上手くいかないものである。タイミングや運によってチームメイトとして一緒にできるということはそれだけで運があると思っている。
そのため私の格言としては、「一期一会」ということを父に習って受け継いでいる。
家がかなり近かったので、近くで合流して立ち話をした。チームや選手のことを細かく教えてくれた。
秋田に行って活躍し、オールスター選手になってくれたので個人的にも嬉しい限りである。
横浜での仕事
引越しも終わり部屋の整理、市役所や警察などやることは本当に多い。
契約前に呼び出されハンターの膝の確認
6月の初めに実はチームから呼び出され、ハンターの膝を確認してほしいとのこと。
この時点でスタッフ関係がうまく行っていない予感がしていた。
やはり思っていた通り、連携が取れていない形であった。
ハンターの膝を確認して、コンタクトも含め全て始動して良い判断を出した。
日本ではなく、アメリカでワークアウトを行うにあたり、どこまで行っていいかの判断をしてほしいとのことであった。
現状試合を行うわけではないので、逆に強化してあげなければ、8月からのチーム練習に間に合わない状況であった。
その時に久しぶりに田渡選手とも会えたので挨拶できてよかった。
田渡選手とは、長い縁があり、出身校である京北高校のトレーナーを以前やっていたので、田渡家とはかなり縁がある。
これで田渡兄弟全員と同じチームで戦ったことになる。
契約成立
我々チームのスタッフは契約は大体契約開始直前となったり、過ぎてから契約書にサインすることが多い。
チームにもよるがフロントスタッフはその時期かなり多忙で手が足りないのが現状なんだと思う。
実際に茨城は仮契約書にサインして契約合意し、本契約を交わしたのは10月である。
そんなことが当たり前のプロチームである。
横浜に関しては、7月からのスタート前にしっかり本契約できたので優秀である。
逆に考えると契約合意しても口約束だったりと、曖昧な状態で引越しするわけであるから結構不安要素はあるのが現状である。
それで、選手が契約白紙になったことも実際に起こっているので、まだまだこれからのプロ組織だと思っている。
7月1日初めの仕事
7月1日が日曜日であったため、チームとしては始動しなかったが、最初の仕事はストレングスの高橋さんと2人で飲みに行ったことである。
その時がお会いするのが2回目の状況で2人で食事して、色々と話した。
でもこういうことがチームの信頼関係を築くにあたり、重要なんだと思っている。
そしてチームスタッフの顔合わせから細かい調整と役割分担を決め、高橋さんのトレーニング中心でスタートして行った。
横浜での不安点
横浜で一番の嫌な点がある。それは空調がないことである。
冬の寒さは全く問題ないのであるが、暑さだけは大の苦手。
暑さが苦手というよりは、汗っかきである。
とにかく汗の存在が邪魔で体育館の暑さに耐えられるかという点である。
今年はかなり涼しい日が多かったので助かった。
夏場も合宿で避難できたことはありがたい限りである。
新しい環境で、気が引き締まり、他のスタッフの様子を伺いながら自分の立ち位置を気づいて行く。
スタッフの飲み会を企画して楽しく良い雰囲気でスタートできている。
結論から言うと今シーズンスタッフ間は良い形を作れたのかと思っている。
この記事が参考になれば幸いです
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