Bリーグ4シーズン目は、横浜ビー・コルセアーズさんにお世話になり、トレーナーとして活動することとなった。
その辺りに関して、振り返りながら記していきたい。
横浜に移籍した由来
今シーズン横浜でお世話になろうと思った点としていくつかあります。
スタッフや選手が一緒にやっていたメンバーが多く、また一緒のチームでやりたいと思っていた。
スタッフの関係があまり良くないということを細谷キャプテン(現秋田)からちょろっと相談されていた。
問題となっている部分が自分が紹介して者なので責任は感じていた。
B2で2年間関わって、やはりB1で活動してみたいと感じた。
横浜はこれから可能性がとても大きいと感じていた。
この辺りが要因となっていますね。
この歳になると条件よりもやりがいや生きがいの方が優先してくるんです。
オファー
横浜さんからは嬉しい話であるが、ここ数年毎年話は頂けていたんです。
ただシーズン終了のズレが生じるため、タイミングが合わなかったんです。
私のようなベテランのトレーナーになるとヘッドコーチよりも歳が上になったりと、なかなか扱いにくい存在になるんです。
だからヘッドトレーナーとして、チームも招かないといけないという印象があるんだと思います。
(個人的にはアシスタントでも全然いいんですが...)
そのため契約するにあたり、まず私のようなベテランやヘッドトレーナーから契約する形となることが多いんですね、
だからシーズン終了と共に次の話やチームとの話を決めなければならない、時間がないんですよ。
契約更新することや移籍することはとてもエネルギーを使います。
自分にとって良い話であっても、かなりブルーな気分でオフを過ごします。
いかにうまく話せるか、相手に失礼のないよう断れるかなど本当に難しいです。
プロチームと契約することは運やタイミングの要素が大きく、毎年悩ましい限りである...
茨城ロボッツは素晴らしい会社
私の考えとして、何事もどちらか選ばなければならない時、後悔しない選択をしようと思っています。
こればっかりは実際に未来を予測できないので、選択を間違えたこともあったかと思っていますが、後悔したことはない。
悪い結果であっても、何らかの良い出来事や経験値として成長できたと思えるので。
ただ、今回の茨城を終了して、横浜に行くことは今後後悔するかもしれないというほど大きな分岐点であった。
GMも私ありきで考えてくれていて本当に感謝しているし、多分後悔すると思うけど、とそれでも移籍することを告げています。
まだまだ当時は発展途上の会社であるけど、今後の会社としての伸びしろは計り知れない力を秘めていると思っている。
選手もとても親しみやすいし、今でも連絡を取っている。
社長も栃木で一から立ち上げた仲間である。
チアとも連携をとって行えていたし、スクール講師としても活動していた。
スクールの選手たちも本当に一生懸命バスケットボールに励んでいたのでやりがいもあったからなおさらである。
再び一緒にできる喜び
自分自身の問題でもあるが、バスケットボールに長年関わると色々なコーチの元で働くことになる。
特に私は日本代表でも活動させてもらってこともあり、それなりに目も肥えているかと思う。
ここ数年色々なコーチと共に仕事をしていたが、心が熱くなるような情熱が湧いてこなかったんです。
だから自分自身もう一度バスケットボールと本気で向き合える、全力でサポートできる選手やスタッフがいるチームが横浜であった。
宮本マネージャーとは栃木で6年間一緒に働き、広島でも1年間一緒にやっている。息が合うんです。
トレーナーはかなりマネージャーに左右される業務で、兼務するところも多いんです。
だからマネージャーがしっかりしているとトレーナー業務に専念でき仕事効率がかなり向上するんです。
そのため、宮本マネージャーと一緒にやると他のマネージャーのクオリティーが低く感じてしまう。
良くないことなんですが、比較しているわけではないのですが、仕事量とストレスが出てしまうんですよ。
トムHCとは栃木で2シーズン一緒にやり、続けて日本代表でも2シーズン一緒、だから4シーズン一緒にやっています。
かなり厳しいスタイルで練習強度も高く、トレーナーとして選手の怪我の管理はとても大変なんですが、それ以上に人間性とバスケットの勝負勘など尊敬できることが多いんです。
日本代表の時も私をメイントレーナーに指名してくれて、声をかけてくれた。嬉しいことに日本一のトレーナーとも言ってくれていた。
ありがたい限りで、この人のためなら全力でと思える方なんです。
だからまた一緒のチームでできることが本当に嬉しかったんです。
鈴木トレーナーは、私の教え子で京北高校でマネージャーとなりテーピングなど徹底して教え、その後トレーナーになりたいと医学の道を選んでくれた。
ただ、まだその時は自分自身の力不足で彼を師匠に預けたんです。
師匠は接骨院と高校や大学がメインであった。しかも人材不足でやめられない状況でもあった。
私はプロの世界で成長し、教え子がどんどん増えて言った。実際Bリーグに7名教え子がトレーナーとして活動している。
タイミングが合わず、下の教え子にプロの道を誘導せざるを得なくなっていったんです。
そのため、いつか一緒に仕事ができればと思っていた。それがこのタイミングであったわけで、私にとっては嬉しい限りである。
どうなっているんだ...
横浜から話があり、その時は私が個人的に仲の良い選手も残る前提で話していたので、嬉しい限りであった。
特に川村選手と細谷選手はまた一緒にやりたいと思っていた選手である。
どう状況が変わったのかはわからないが、こればかりは仕方がないことである。
2人とは横浜で直接会って話ができたので、その点は良かったことである。
いつかまた一緒にできる機会があれば嬉しい限りである。
岡本代表が突然社長を降りてしまうということも、全く聞いていないことであった。
私を呼んでくれた方であり、この会社大丈夫なの、と思うこともあった。
プロチームは突然チームの人事が変更になることは当たり前と思っているので仕方がないとしか言いようがない。
まぁ、こんなことは起こって当たり前という気持ちで横浜に来ているので!
なかなか思っていた通りにはいかないものです。
だから刺激があっていいので、人生楽しんだもの勝ち!
色々と起こりそうなシーズンと覚悟は決めていた
今回はこの辺で!
今後とも宜しくです!
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