チーム リンク栃木ブレックス2007-2013

【優勝】設立3年目にして手に入れた日本一となったプロバスケチーム

2020年3月25日

シーズン3年目の年は快進撃となった。

昨シーズンの後半にトーマス・ウィスマンHCが就任し、そのまま続投となり、すでに考え方も浸透していたからである。

ベースができている状態でシーズンに入れたので、制度を高めるレベルにあった。

 

ベースか構築されたシーズンイン

前年度にトーマス・ウィスマンHCの考えはチームに浸透している。

そのため、オフでの課題は各自がそのバスケットにアジャストするための個人スキルをつける事であった。

 

圧倒的な練習量

チーム練習の始動は遅い。

開幕前6週間あればチーム作りはできるというのがHCの考えである。

 

練習漬けになるチームがほとんどの時代であったため、これでいいのかという不安もあるが、HCの考えであったため、トレーニング期はHC不在で進んでいった。

 

HCが合流してから、鬼のような練習となった。

 

トーマス・ウィスマン氏の練習はキツくて有名!笑
JUNK TRAINER

 

 

ウォーターブレイクの時間を確保する事はなく、ずっと動きっぱなしとなる。

そのためかなりの疲労と障害が起こりやすい状態となる。

 

特にハムストリングス(もも裏)の筋膜炎になりやすく、私の負担も大きくなっていく。

現在私は横浜でトレーナーをしているが、栃木での練習は現在の横浜の選手は間違いなく、けが人が続出してしまうであろう。

 

なぜなら現在の若手中堅選手は、そもそも科学的な練習方法で成長してきている世代であるため、スパルタ的な練習にはベースとなるスタミナが異なることを今シーズン横浜で再びトーマス・ウィスマン氏と共に戦った結果得られた事だ。

 

理解できるバスケ学

当時のバスケットではまだまだ戦略的にシンプルなバスケットが多く、HCの戦術はハイレベルにあった。

そのため、皆リスペクトしバスケットボール自体を学んでいけて、私自身もバスケットボールの練習が楽しい時間となっていた。

 

自分自身もバスケIQが高まっていった!
JUNK TRAINER

 

これはその後いろいろな部分で参考になっている。

彼のスタイルは1人で全てを練習を進められる事、映像を編集せずに、そのままみてもすぐに理解できる頭脳は、試合中の戦術変更など大いに発揮された。大ベテランのコーチは、映像のない時代から指導しているため、即座の理解力が非常に長けている事はつくづく感じた点である。

 

選手が質問した際も、的確に答えられる対応力は本当に尊敬している。

 

開幕戦でトヨタを圧勝

この年はプレマッチで韓国のチームも含め、負けないでシーズンインした。

とはいえ開幕戦というのは、緊張する瞬間であるし、やってみないとわからない点も多い。

 

特に開幕戦の仕上がり状態の差が、シーズンに大きく影響するのがリーグ戦と思っている。

開幕のトヨタ戦は圧倒して勝利し、連勝でき良いスタートを切れた。

 

開幕戦での仕上がり具合はリーグ戦において重要!
JUNK TRAINER

 

Game2を落とさない戦術戦略

このシーズンは印象的なのが、試合は連戦となるリーグであるが、ほとんどGame2の試合を勝利している。

この辺りは試合で起こった現象を翌日しっかりと修正し、対応できた事である。

 

そのために行った事は、試合前は必ず練習で確認し、準備してから試合に臨んでいた。

また個人的には選手のケアも十分に対応できていたと思う。

 

そのため、翌日にもスタミナ切れや疲労など勝負所を勝ち取る事は出来たのかと思っている。

 

田臥不在の前半戦も安定した上位

素晴らしいPGが4選手もいた

チームのポイントガードとしては安斎、田臥、山田、並里と4人いた。

今思うと素晴らしいメンバーの司令塔が揃っていた。

 

田臥選手はオフシーズン、アメリカで調整し、チーム練習と同時に日本に合流するスタイルであった。

その年はアメリカで踵を痛め長期の離脱をしていた。

復帰できたのが正月のオールジャパンからで、前半戦は参戦していない。

 

そんな状態の中でも、安斎、山田がメインとなり、チームをしっかりと牽引して前半戦はアイシンに次ぐ、2位のポジションで折り返した。

この年は安斎選手がキャプテンとなり、とてもリーダーシップをとってチームを牽引し、本当の立役者は間違いなく安斎選手である。

 

圧倒的な力を誇るアイシン

毎年強いチームのアイシンであったが、この年もワンランク上をいく強さがあった。

帰化枠がまだまだ少なかった時代に桜木選手の存在は大きく、全てのポジションでトップレベルの選手が備わっていたチームであり、圧倒的な強さを誇っていた。

 

この年のアイシンはまさに最強メンバーで独走!
JUNK TRAINER

 

離さなされても追いつく精神力

チームもその時々で調子がある。20点話される事はよくある事であった。

しかし、そこから巻き返して勝利した事は今シーズン多かった。

 

チームが噛み合った時の爆発力はリーグ随一であったと思う。

そのためチームとして離されても追いつけるという諦める事はなかった。

不思議とそういうチームでは負ける気がしないものである。

 

控え選手の活躍

我々のスタイルとしては、ディフェンスからファストブレイクに持っていく。

早い展開であった。

特にスティールするのがうまい選手が多かったので、一度チームが噛み合うと爆発力があったと感じている。

 

そしてチームがダメな時間帯になると日本随一のシックスマン竹田選手がいたので、チームを安定させて立て直してくれたことも大きい。

まさに職人技である。

 

1番2番とこなせる山田選手、インサイドのDFにリバウンドと身体能力の高い大宮選手、個人技に長けた若きPGの並里選手などチーム一丸となって皆機能していた。

 

完成されたゾーンディフェンス

チームはベースとしてマンツーマンDFである。

しかし、相手も対策を取っているので、前半リードされる事は多かった。

 

そんな時に流れを変えるのがゾーンDFであった。

 

かなり特殊なゾーンでローテーションなども複雑である。

対戦相手によって変則するため、スカウティングもされにくかった。このゾーンが武器となり、相手の得点を止めて、速攻に持っていく。

 

このゾーンは代表チームでも横浜でも実際に使っているが、そこまで機能したかというと、横浜では機能していなかった。

多少ルールは異なっているもののやはり役者が揃うかが大きなポイントであったかと思う。

 

東北のバスケはゾーンスキルが圧倒的

栃木のガード陣は高校時代東北出身者で構成されている。

ゾーンの代名詞としては能代工業である。

 

能代工業出身の選手が田臥選手、山田選手の2名、東北出身として安斎選手(福島)、片岡選手(宮城)、川村選手(岩手)となっている。

彼らは高校時代能代工業に勝つためにゾーンを練習し、ゾーン対策をし、実際東北大会ではゾーンプレス・ゾーンのチームがかなり多い。

 

そのため自然と体が反応し、スティールポイント、カバーリングなどの動きを教えなくても遂行できたことがとても大きい。

 

プレイオフの快進撃

プレイオフセミファイナルはでは強豪パナソニックとの戦いとなった。

レギュラーシーズン2位通過のため、ホームコートで開催できた。

2勝先取でファイナルに進出できる。

 

セミファイナルで不在のエース

最終調整の前日の練習も無事終わり、いよいよセミファイナルとなった。

当日の朝練習も無事終え、いざ勝負という時に事件は起こった。

 

セミファイナル前のアクシデント

なんとエースが車から降りる際にギックリ腰となり、動けないとの連絡が入った。

すぐにチームとチームドクターに連絡し、おじいさんのようなエースを病院に連れて行き、対応してもらった。

 

宇都宮にはヘルニアの権威の医師がいたため、椎間関節に注射をしていただいた。

とは言ってもさすがに試合できる状態ではなく、試合開始前にかなり早めに来てもらいケアをするもなんとか通常に歩けるレベルまでの回復となった。

その日は残念ながら出場できず、見送ることとした。

試合前にかなりの冷や汗状態である。

 

気が気でない...ハラハラでした
JUNK TRAINER

 

チームを信じて第2戦に備えるしかない。

 

アスリートは突然こういうことが起こるので、どう対応するかがポイントとなる。

第1戦は81-91で敗れてしまった。

 

セミファイナルGame2

第2戦はもう後がなくなったため、お尻から座薬を入れて出場。

ケアでかなりよくすることができたのは本当に一安心であった。

 

もちろん本人も痛みに強いタイプであり、根性も人一倍ある選手である。

試合中も不安であるものの84-72で勝利できた。

 

無理して出場すると翌日反動が出てできない場合もあるからとにかく心配...
JUNK TRAINER

 

個人的には試合後通常であればプレイできなくなることも十分考えられるケースであるが、医師、ケアの対応も的確だったと思う。

第3戦も無事出場させることができた。

 

セミファイナルGame3

試合展開は圧倒的にパナソニックペース20点離され万事休す。

しかしこの年のブレックスは底力があった。

 

ここからゾーンで巻き返し、81-80で接戦をものにしてファイナル出場を手に入れた。

後で振り返ると、よく対応できたなと思うばかり、当時の現場ではとにかく必死で出場させること。

 

さらに勝つためのベストパフォーマンスが出るようにケアして出場させること。

翌日ダメージが残らないようにどうすればとプランをしっかと立てて対応し、結果が伴ってホッとした瞬間であった。

 

突然のアクシデントに対応できひと安心
JUNK TRAINER

 

不安で臨んだファイナル

ファイナルの相手は予想どおりアイシンであった。

下馬評は圧倒的にアイシンの優勝と思われていたと思う。

 

実際戦う我々もアイシンにどうすれば勝てるのかなと不安な気持ちばかり先行していた。

しかし、パナソニックでの接戦を勝利できた事は大きかったと思うし、何より自信がチームについたのだと後々分析となった。

 

もう一つ問題なのが、外国籍選手のアボヤがセミファイナルでコートエンドの立て看板に突っ込んだ際に肋骨を骨折したことであった。

この看板は、芯がとても硬い素材であったため、リーグに再三変更を訴えたが対応してくれなかったものである。

 

実際に大事な時に怪我が起こってしまった。

リーグとしては当たった際に崩れるような作りになっているから大丈夫とのことであった。

この辺りはトレーナー目線と怪我に対する見方が違うことを学んだ点である。

 

初戦の勝利が勢いを呼んだ

プレイオフ ファイナル

ファイナルは代々木第2で行われた。

3勝先取で3連戦となる。

 

かなりハードなスケジュールとなる。

試合会場はもちろん満席で大変盛り上がった試合である。

 

レギュラーシーズン1位のアイシンと2位の栃木との戦いである。

ポイントはゾーンであった。

 

点を話されてもゾーンにチェンジして流れを取り戻す。

そして速攻に持っていくスタイルを展開する。

ゾーンも2-3の変形であるが、アイシンは1-1-3と思っている。

この感覚のズレが大きかったかと思っている。

 

普通のゾーンはハイポストに入ると自在な攻撃をされるため非常にもろくなる。

ここがスタミナと東北勢の技術力が爆発的に威力を発揮した。

ハイポストに入ったらスペースができてしまう。

通常は1線のガード2人がサイドに開き、アウトサイドのシュートをケアする。

実際にコーチの教えはそうである。

しかし、選手たちのアレンジでハイポストでボールをもたせたらドリブルをさせ、後ろからチップしてスティールをとる。

 

これが特に能代工業出身の田臥・山田両選手の得意技となる。

スティールを狙うことで本来ハイポストエリアでコントロールできるインサイドプレイヤーも警戒してノーマークのシュートが打てなくなるのだ。

 

人間の心理というか、駆け引きというか、本当に面白いものだ。

この辺りのメンタルなどは昨シーズン加藤三彦HCと一緒にやった際に伝授させてもらったことである。

 

能代工業がなぜ強いのか理解できた部分でもある。

プレイオフ第1戦は88-77でアイシンに勝利することができた。

 

この勝利がファイナルで我々に大きな勢いをつけた。

 

全員が行けると自信を持って第2戦戦うことができた。

その結果、第2戦も80-72で勝利した。

 

問題は第3戦である。

お互い疲れた状態での試合となる。

 

我々は勢いはあるものの、絶対的王者のアイシンであり、一つ負けてしまうとズルズルと負けてしまうのではという不安材料はあった。

 

暑すぎる第3戦の秘策

ファイナルでトレーナーとして対策したこととして、トレーナーのマンパワーを増やすこと。

疲労との戦いとなる、通常トレーナーは2名でケアを行う。

ただし全員対応することは時間的制約で厳しくなってしまう。

そのため、プレイオフに関してはプラス2名の4人体制でケアをし、全員疲労に対して対応できる体制をとっていた。

 

他にも酸素カプセルの利用も予算組みしてもらい数名の選手は実施している。

まだ発売されたばかりであったOS-1が非常に役立った。

 

プレイオフ ファイナルGame3

第3戦は平日の月曜日でないとゲーであった。

また天気が良く、体育館がかなりの暑さとなっていたのである。

 

この暑さが我々に味方した。

OS-1は脱水症状や筋肉の痙攣に良い経口補水液である。

(言い換えれば飲む点滴のようなものである。)

 

病院以外の場所、生命に異常がない限り点滴はドーピング違反となってしまうため行うことができない。

そのため、暑さで脱水をOS-1で防ぐことができた。

 

後半になると連戦での疲労とスタミナばて、さらに暑さでアイシンと栃木の勢いは一変していたかと思う。

個人的な勝因としては、体育館の温度管理が扱ったことで、実力差が覆ったのかと思う。

 

それに増してエース川村選手が神がかったシュートを決め延長戦になったことはさらに勝つ確率が上がっていった。

このシュートは伝説となっている。

 

これは実力そのものである。

勝負強さ、大切な時に決められる選手はそうはいない。

 

皆印象に残っていると思う。

彼はこの夏、日本代表でレバノンで行われたスタンコビッチカップの準決勝でも、同じシーンでシュートを決めて決勝進出を果たしている。

 

最も尊敬し、影響を受けた選手である。

第3戦は最終的に71-63で勝利し、3連勝で幕は閉じた。

 

誰もが栃木が優勝するとは思わなかったシーズンではないかと思っている。

 

プロチーム設立3年目にして日本一

会社としての方針は5年で日本一を掲げて設立したプロチームである。

JBL2からスタートし、JBL2で優勝、2年早く、3年目でJBL優勝はまさに現実となってしまった。

 

正直うまくいき過ぎてしまったくらいのストーリーであるが、この一員として関われたことは誇りに思っている。

 

代々木初のビールかけ

優勝が決まった後、どのチームも行なっていなかったビールかけを実際にやることができ、優勝の実感が湧いた。

でも散々盛り上がった後、ビールかけは滅茶苦茶臭くなる現実を知った。

 

英雄につきもののドーピング検査

ビールかけの後、現実が待ち構えていた。

実際にドーピング検査を実施するのである。

 

ハイテンションのため、全く尿が出なく時間がかかった。

ドーピング検査も終了し、無事全て終了した。

 

宇都宮での優勝パレード

JBLで優勝できたことを何よりも喜んでくれたのが、ファンの方々であった。

そして栃木県、宇都宮市も本当に喜んでくれた。

 

宇都宮で一万人以上の方々が見守る中、県庁から市役所まで優勝パレードを行なってもらえたことは、一生の思い出として残っている。

個人的にもこのシーズンは日本代表トレーナーにもなれ、チームは優勝でき、とても良い年であった。

 

それもファンやスポンサーの方々のご支援のおかけであると思っている。

 

 

 

栃木ブレックス2007-2008年(初年度)


リンク栃木ブレックス2008-2009年
JBL参戦によりチーム編成の大改革が行われた2008年のBREX

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